Contents
職人プロフィール
佐賀県伊万里市にて革製品のオーダーメイドとリメイクの専門店、伊万里レザー鷹工房を営んでおります、代表兼職人の 高森 晋(たかもり すすむ)と申します。
2012年、建設会社のサラリーマンとして働いていた私は、ふとしたことがきっかけでレザークラフトと出会いました。
趣味として革小物作りを続けていくうちに、どんどん革の世界に魅了され、のめりこんでいき、革製品の製作が楽しくなり、一生のライフワークにしたいと思うようになりました。
そしてとうとう2014年に自宅脇に工房を構え、本格的に本革製品の製作を始めました。
今現在、本革製品の販売、オーダーメイド、リメイク、修理、ランドセルリメイク、レザークラフト教室、本革カット販売と幅広く活動しており、創業当初からの念願であった、伊万里牛の皮を原料とした牛革”伊万里レザー”もようやく実現しましたので、目下全国の皆さんに手に取っていただけるよう頑張っているところです。
職人の生い立ちと幼少期のエピソード
私は、1962年に3人兄弟の二男として、佐賀県伊万里市で生まれました。
父は商売の才能と、先見の明を持ち合わせた行動力のある人でした。
物価高の昨今、リーズナブルで栄養価も高く、毎日の食卓に欠かせない家計のお助け食材と言えば ”もやし” ですが、その当時はまだ一般的に出回っておらず、そこに目をつけた父は、栽培法を学ぶために福岡まで通い、自宅で栽培して販売を始めました。
まだ保育園の頃、それがお金に変わることを知った私たち悪ガキ3兄弟は、悪知恵を働かせ、親の目を盗んでまだ成長しきってないもやしを収穫し、親戚の家に持って行っては小遣い銭をもらうという悪さをよくやったものでした。
田舎のおおらかさで、何もかもお見通しのおじさん、おばさんは、ありがとうと言って私たちに小銭をにぎらせてくれたものでした。
父に学んだ先見の明
次に父が目を付けたのはプロパンガスでした。当時はまだ殆どの家庭の熱源はマキでしたので、両親は町内を一軒一軒訪問しては、プロパンガスの便利さと安全性を説明して回り、着々とお客様を増やして高森商店を順調に営んでいきました。
そして、殆どの家庭にプロパンガスが普及した頃、今度は水道の普及を見越して水道工事業を取り入れ、プロパンガスと水道工事の2本の柱で有限会社を設立し、社長として率先して現場を切り盛りする頼もしい父でした。
そんな父を間近でずっと見て育った私は、何の迷いもなく大学で建築設備を学び、卒業と同時に父の会社に入って一緒に働き、衝突することもありましたが、たくさんのことを学ぶことができました。
その頃は会社も順調で、ずっとこの仕事を続けていくんだと思っていました。
レザークラフトとの出会い
失敗からの一念発起
しかし、世間の不況のしわ寄せは我が社にも影響を及ぼし、公共工事の激減やプロパンガスの高騰、オール電化の普及といった様々な問題が次々と押し寄せ、私が会社を引き継いだ頃には大変苦しい状況となっていました。
何とか立て直そうと、様々な企業努力をしましたが力及ばず、2003年にやむなく廃業しました。
当時、妻と13歳を頭に4人の子どもがいましたので、生活を支えるためにできるだけ稼げる仕事をと思い、慣れないことや苦手なことも必死に頑張ってみましたが、なかなか思うようにはいきませんでした。
最終的には設備工事の資格を活かして地元の建設会社に勤めることになりました。遠回りをしましたが、収まるところに収まったという感じでしょうか。
しかし、生まれてからずっと起業人、商売人を見て育ったせいか、サラリーマンという形態に何か物足りなさを感じていて、他に自分にできる商売はないのかなと、色々見たり聞いたりして考えていました。
そんな時、たまたま手にした革の財布を作れるキット。説明書を見ながら手順通りに作り上げたところ、なかなかの出来。ピンときました。これ、いけるかも!
レザークラフトに魅せられて
そこから早速革に関する本を手に入れ、道具を揃え、サラリーマンをしながらレザークラフトを独学で学び始めました。
元々手先は器用で、図面や設計図を描いていたのでデザインもお手の物でした。
小さなものから作り始め、デザイン画も自分で描き、設計図を作り、出来上がりをイメージして順番を考えながら縫っていく。
そのプロセスは、自分がずっと携わってきた設備工事の仕事と何ら変わりなく、スムーズに、迷いなく革細工に没頭していくのにそれほど時間はかかりませんでした。
やればやるほど、知れば知るほど一生のライフワークとしてやっていきたい、この仕事で食べていけるようになりたいと、強く思うようになっていったのです。
50歳にして、設備工事会社の社長からサラリーマンを経て、革細工職人への転身という異色の経歴が、早い時期からメディアの目に留まり、新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌等にも何度となく取り上げていただきました。
おかげさまで、地元佐賀県内をはじめ、全国各地よりご注文やお問い合わせをいただき、リピートして下さるお客様も増えつつあります。ほんとうに有難いことだと皆様に感謝しております。
職人としての拘り
私には、一般的なイメージとして、いわゆる職人にありがちな自分独自の拘りというものはありません。
ただ、一つだけ拘っているとしたら、それは’’お客様のこだわりを大切にする’’ということです
当店では、ほとんどの工程を手作業、手縫いで丁寧に仕上げていくのですが、手作業なので、それなりに時間もかかりますし、料金も多少は高くなります。
しかし、お客様の夢や希望を形にしていくということですから、できるだけ永くご愛用いただき、尚且つ修理や縫い直ししながらでも代々受け継がれていけるような作品にしたいと思っているので、そこだけは当初から一貫して変わっていません。
一針一針心を込めて、夢を形にするお手伝いをさせていただきたい。
こんな風変わりな職人ですが、あなたの夢を託してみませんか?どんな小さなご要望も遠慮なくご相談下さい。誠心誠意、心を込めて対応させていただきます。